被災地訪問④ 南相馬~原発警戒域
仙台に続き二日目は福島市内に泊まりました。
改めてみると、福島っていうのは本当に盆地なんですねぇ。
福島駅のすぐ近くに泊まりましたが、ぐるり山に囲まれ、申し訳ないのですが仙台と比較してこじんまりとした地方都市という印象でした。
さて、この日は山越えをして南相馬を目指します。
山を越えるにつれ、テレビで聞いた地名が・・・。
飯舘村・・・・ 飯舘牛が名産らしく、そこここに看板を見ましたが・・・ おそらく殺処分になってしまったのではないでしょうか。
飯舘牛を使った焼肉屋さんやらは、残念ながらみなさん店じまいしていました。
南相馬市役所を通り越し、東北電力グリーンパークに向かいます。
ここは火力発電所で、晴天なのに空に霞がかかっています。
この北泉海水浴場も無残な状態でした。
公園内の歩道橋もご覧の有様。
ここも防波堤は壊滅状態。
その上全くの手つかず。
新田川河口の水門も壊れたまま放置されています。
ここではこの中身のなくなった建物だけが目立ち、海岸ということもあってか周りには建物の残骸も見当たりません。
震災で崩れた防波堤です。
この防波堤を崩し、乗り越え、津波が内側に広がっていた田んぼや畑に押し寄せました。
そしてこの地域では海に戻れなくなった海水がそのまま水たまりを作り、あちこちに残ったままになっています。
ここの除塩はいったいいつになったら完了するのでしょう。
潮をかぶった土地の広さと、水たまりの数と・・・ 気の遠くなる作業です。
この地域では広大な空き地の中に、ガレキをきちんと分別して山が出来ていました。
流された車の中でも、部品が使えそうなもの、このまま鉄くずになるものとに分けられています。
そこらじゅうで消波ブロックが作られています。
ガレキの分別を眺めながら進むと、ここではきっと使えそうな車の部品のリサイクルをしているんだろうなといった会社が。
でもそれ以上先には進めません。
うーーむ これって原発の警戒区域? ここから始まってしまう?
とりあえず戻ってR6を走ることにします。
途中、海側に目線をやると道沿いにぽつぽつと住宅が連なり、海岸まで行けそうな道が。 海岸に向かってみます。
「ああ この辺りは家も残っているし、津波もそれほど高くなかったのかな。」と呑気に走っていくと・・・・・・・・・・
電柱は折れ
道路は崩れ
信号機は当然無く
住む人も無く
流れてきたガレキもそのまま
流されてきた車もそのまま
道端のガードレールも
運び出されたタタミも
何もかも震災直後のまま
遠目から見た街並みに軽い気持ちで乗り入れた地区でしたが、震災後何一つ片付けが進んでいないことに驚きでした。
もちろん直後に比べればそれでもガレキが減って、流され壊れた車が減っているのだと思います。
初めはなぜなのか分かりませんでした。 今まで見てきた地区はすっかり何もかも流されて無くなってはいましたが、ガレキもそれなりに片付いた上での空き地。 ここでは調査済みのシールの貼られた車が、畑と思しき場所にごろごろ転がっています。
原発です。 今はこうして私たちも入れる(?)地区になっていますが、・・・ 実は本当は入ってよかった地域なのかも不明なのですが・・・
見渡した先では防護服を着た人が2人で線量計片手に測定していました。 こちらはこちらで「うげ?」って感じでしたが、あちらはあちらで「馬鹿どもがぁ」って感じだったのかもしれません。
きっと原発事故の直後にはここも立ち入り禁止だったのでしょう。 あるいは立ち入ることができても、長居ができなかったり、立ち入ることを躊躇う何かがあったり・・・。 どちらにしろ今も復興が思うように進められない地域です。
何とも重苦しい空気のまま再びR6を南下します。
この先は浪江町、更には双葉町・・・。 どこまで行けるのか・・・。
「ガソリン入れる?」 「いや、先にもありそうだからいいや」と、そのスタンドを越えた先は・・・ゴーストタウンでした。
街並みはそのまま、人影だけが全くない。
更に進むとそこここに「スクリーニング場」の表示が。 そして道路の左右に一定間隔でパトカーが。
この光景を見てさすがに行けるところまで・・・は断念。 と言うことで山側に曲がろうとしたのですが、どこもかしこも立ち入り禁止。
そこにいたガードマンのお姉さんにどこまで戻れば山越えして茨城の方に出られるのか尋ねると、なんと南相馬市役所のあたりまで戻らないと山は越えられません。 うーーーん それでも 戻る道すがら「ここなら行けるかな?」と曲がってみますが、少し走るとどこも「立ち入り禁止」の看板と施錠された門が立ち塞がります。
スマホを取り出し警戒区域の確認をすると、素直に従うべきことが判明。
南相馬市街地まで戻り、渋滞の東北道に。
お盆休みに帰省した家族連れが、思い出とお土産と、心地よい疲れを乗せて連なります。
誰にでも愛する家族が居て、家族の笑顔のための帰省だったりするのでしょうが、・・・何とも複雑でした。
東北道までの道、○○地区仮設住宅というのがそこらじゅうにあり、まだまだ大勢の人がそこで不自由な生活を送っています。
昨日観た24時間テレビでは、原発の立ち入り禁止区域であるために、娘の遺品一つさがすことができないお父さんが、現状とその無念さを語っていました。
まだ温度の下がっていない私には、その様子は胸に突き刺さるものがありました。
心の折り合いがつかぬままに生きていくことの辛さ。 想像しただけで胸が押しつぶされそうになります。
「見に行った方がいいよ」とは言いません。 ただ、メディアを通して見聞きしたものとは違った感じ取れるものがあります。
そして、政治家の先生方には「見に行け」と言いたい。
そして、本当の血税の使い方を学んで来い と。