被災地訪問③ 松島~亘理郡
二日目 せっかくここまで来たので松島に寄り、そこからまた南下して相馬市を目指します。
松島は湾内に数多くの小島があり、それが緩衝剤になって他の地域より津波が低かったと聞きます。
確かに、2年の歳月を経た後だからなのかもしれませんが、観光地特有の大渋滞でしたし、他の地域とは比較にならないほどの賑わいでした。
瑞巌寺にも行ってみました。
この参道を津波が駆け上がって行ったようです。
参道も大分奥に、ここにも津波の到達点の表示がありました。
松島では他県ナンバーよりも、岩手・宮城のナンバーを多く見ました。
うーーーん まぁ 関東から出かけるには決して近い距離ではないですね。
お土産物屋さんはどこも盛況でした。
松島を後に、ナビには「相馬市新地町」を入れて出発です。
とりあえず行けるところまで海沿いを走ってみます。
塩釜港・多賀城市を越えてから内陸に入り、国道6号線を走り亘理郡山元町へ。
震災当日、職員生徒全員が屋根裏に避難し九死に一生を得た山元町立中浜小学校です。
この学校の記録を読むと、3月9日の震度5の地震の時にそれ以上の震災を想定し、職員会議を設け、有事の際の避難経路の確認・全校での意識の統一を図っています。
ですから、当日避難場所に指定されていた中学校まで小学児童を連れての避難に20分。津波到達まで10分というところで、校長以下全員が一か八かの屋根裏避難で意見がぶれなかったそうです。
その後坂本小学校に山本中浜小学校の校名を隣同士で掲げ、授業を再開しました。
ここも中浜小学校がポツンと残されただけで、何もありません。
海岸線の防波堤は壊滅状態で、その残骸がそこここに残っています。
今まで見てきた海岸線では既に護岸工事が始まっていて、工事関係者立ち入り禁止になっているのでこんな景色は目にしませんでした。
震災直後は堤防という堤防がこんな状態で連なっていたのでしょう。
それでも流されて何もなくなってしまった状態を考えれば、まだまし・・・ ということになるのでしょうか。
この後南相馬に向かい、もっとひどい光景を見ることになります。